昔はかなりPVを見まくっていたものであるが、最近は全然見てない。もともと僕は映画ファンなので、映像作品に対しては人一倍敏感で、テレビCMを見ていても大感動していたくらいなので、MTVやスペースシャワーTVを毎日何時間も見ていたころは毎日が興奮の連続だった。あのころは僕にとってポップスの知識を吸収していくための修行期間だった。

 もっとも感銘を受けたのはローリング・ストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」のPV。ただモノクロのフィルムカメラで5人の演奏を撮影しているだけのものだったが、メンバーのドアップ映像に、ライブ的な迫ってくるパワーを感じた。日本のバンドではウルフルズの「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」のマルチスクリーンを活用したPVが気に入っている。
 ストーンズに限らず、イギリス系のミュージシャンのPVは簡素なものが多いが、アメリカ系のミュージシャンはPV自体が一本の映像芸術作品になっていることが特徴で、演出にもこだわりがある。マイケル・ジャクソンの「スリラー」のPVにも驚いた。マイケルのPVにはハズレがなく、毎度レベルの高さに驚かされる。映画監督が演出しているのが成功の一因であるが、そのこともあって、アメリカはMTV時代に突入。MTVはただPVを24時間流すだけという低予算番組でボロ儲けし、PVの代名詞となった。

 PVはたしかにおもしろいし、映画ファンとして言わせてもらえば、下手な長編映画よりも相当価値があるものである。しかし、ロック・マニアになった今となっては、ロック・マニアの視点から言わせてもらうと、MTVはロックを破壊した元凶のような気がして、いささか反発を覚える。デュラン・デュランやマドンナは嫌いではないが、音楽よりもルックスが重要なミュージシャンが売れるようになったのはあまりよろしい傾向ではない。しかし、これからもPV受けのミュージシャンばかりが売れていくことだろう。
 シェリル・クロウの音楽はかなり完成度が高く、70年代のロックの香りがあるが、彼女があれほど話題になった陰にはMTVがあった。音楽性だけが優れていても、男女受けするルックスと卓越したファッション性がなければ、生きていけない時代になったのである。

 一番懸念されるのは、出るシングル曲のほぼすべてにPVが制作されていること。音楽とは本来耳で聴く芸術であって、目で見る芸術ではない。僕にとってPVは、映像のインパクトが強すぎて、「聴く」という音楽の本質が弱くなっていることに抵抗がある。たとえばビートルズの「サムシング」は僕のお気に入りの名曲だが、PVを見たときには心底がっかりしたものである。ただメンバー4人が恋人たちとイチャイチャしてるだけの他愛ないPVで、曲のイメージをことごとく打ち砕いてしまったひどいPVである。せっかくのすばらしい音楽を、PVひとつが台無しにしてしまうこともあるのだ。
 どうせPVを見るなら、バンドのみんなが演奏しているところを見たいのに、肝心の演奏の映像がまったくないPVが多いのも残念でならない。
 しかしながら、PVを作ることは、いってみれば義務みたいなものであって、決して避けられないものになった。PVこそミュージシャンや音楽会社にとって最強の宣伝活動だからだろう。(2004/12/10)