バングラデシュ・コンサート

  1971年8月1日。マジソン・スクエア・ガーデンにてバングラデシュ・コンサートが開催された。これは大規模なロック・チャリティ・コンサートとしては世界初の試みとなった。これの主導者は意外な人物であり、なんと元ビートルズのジョージ・ハリソンだった。このときジョージは28歳。師匠であるラヴィ・シャンカールにバングラデシュの難民の実態を聞かされたことがきっかけで、慈善コンサートを思いつく。慈善コンサートとは、ミュージシャンたちがノーギャラで出演し、その収益金を寄付するというもの。今では普通に行われていることであるが、これを最初に提唱した人がジョージ・ハリソンだったのだ。ジョージは毎日友人知人に電話をかけ、エリック・クラプトン、ボブ・ディランらが集まった。当時はノーギャラでのライブは珍しいことだったので、断る人も多かったそうだが、ジョージはみんなをひっぱって、みごとなリーダーシップを発揮した。後にライブ・エイドを開催するボブ・ゲルドフは、ジョージに影響を受けたと公言し、ジョージのことを神のように尊敬しているのだという。たしかにジョージの歌を聴いていると、ジョン・レノンやポール・マッカートニーにはない崇高さを感じ取ることができる。思えばビートルズのメンバーの中で、ソロになって最も成功したのはジョージであった。ソロ第一弾「オール・シングス・マスト・パス」ではいきなり3枚組。23曲中22曲が自作曲で、どれも非の打ち所のない傑作であった。ビートルズ時代にはもくもくとギターを弾いていた印象だったが、一人になっていっきにその才能を開花させたのである。バングラデシュ・コンサートの主な曲目は「オール・シングス・マスト・パス」から選ばれ、「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」というビートルズ時代の三大傑作がハイライトとして歌われ、最後にこのために用意した「バングラデシュ」で締めくくっている。「ワーワー」、「バングラデシュ」などはスタジオ収録のオリジナル盤よりも白熱で素晴らしいパフォーマンスである。
 結果は大成功だった。グラミー賞でビートルズ・メンバーとして初めてアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得。ロックのアルバムとしてはビートルズ、ブラッド・スウェット&ティアーズ、サイモン&ガーファンクル、キャロル・キングに続き史上5枚目の授賞となる。授賞式ではリンゴ・スターがジョージ・ハリソンに代わってトロフィーを受け取った。25万ドルの収益金は寄付された。25万ドルというのは一時的な寄付でしかなかったが、これがきっかけとなって、飢えに苦しむ難民がいるという事実が世界的に知れ渡ったのであるから、このライブの意義はあまりにも大きい。

 今回ジョージの死後初めてこのコンサートの全貌がDVD化されることになったので、さっそく僕もDVDを買ってみた。今までにVHSで見られたこのライブ映像はひどく映像が汚いものであったが、今回のDVDでは今までが嘘であったかのように高画質化している。音の方も以前まではひどくしょぼかったが、今回のDVDではCD以上の音質である。それだけでも買った価値はあったが、映像特典としてジョージとディランが一緒に「イフ・ノット・フォー・ユー」を歌うお宝映像もあり、それなりに楽しめた。
 それにしてもこのころのジョージはかっこいい。彼のキャリアの中では最も輝いていた時期だと思う。髭もじゃだけど、ジャケットとシャツが渋くて惚れ惚れする。歌っているときの表情もかっこいい。ゲストたちはラヴィ・シャンカールとボブ・ディラン以外は微妙なメンツ。クラプトンは当時スランプだったし、ジム・ケルトナーやクラウス・フォアマンなど、どちらかというとジョージの<バック・バンド>という位置づけで、メインはジョージが主役に立つショーといえる。ディランやクラプトンよりもジョージが目立っているところがビートルズ・マニア(とりわけジョージ好きな僕)としては嬉しい限りである。ほんと、ジョージはよくやってくれたと思う。
 あと、ディランが出てきてからのジョージのエレキ・ギターのバック・サウンドも結構好きだ。レオン・ラッセルがベースでリンゴ・スターがタンバリンという即席のスーパー・グループがここに誕生しているではないか。ディランの歌っているときの目も好きである。でも一番良かったのはラヴィ・シャンカール。彼が一番ハード・ロックしてました。(2005年11月3日・ヒデマン)

ジョージ・ハリソン
ジョージ・ハリソン

ボブ・ディラン
ボブ・ディラン

レオン・ラッセル
レオン・ラッセル

ラヴィ・シャンカール
ラヴィ・シャンカール

 

DVD

「バングラデシュ・コンサートDVD」
ジョージ死後初のDVD化。高画質化し、以前のVHS版とは比べものにならないほど画像が綺麗になっています。