スイッチト・オン・バッハ
Switched-on Bach
1968
Wendy Carlos

 ウェンディ・カーロスが歴史に名前を残すことになったのは、誰よりも先にシンセサイザーを使った音楽の可能性を追求したからだろう。「スイッチト・オン・バッハ」は、カーロスが性転換手術する前、ワルター・カーロスと名乗っていた1968年に、バッハ(バッハが現代に生きていれば優れたロック・ミュージシャンになっていただろう)の代表曲をシンセサイザーで演奏しただけのアルバムであるが、目の付け所がよかったので、グラミー賞を受賞し、「時計じかけのオレンジ」のサントラを一任されるまでになる。

 モーグ・シンセサイザーを使っての実験は、当時わりと流行っていて、実はジョージ・ハリソンも「電子音楽の世界」という原始的な電子音楽作品を残しているが、カーロスは誰よりも早く先鞭をつけたことが偉大だった。自作でなく、古典中の古典バッハを選んだのが勝利を決めた。バッハの考え出したメロディは永遠に不滅なので、シンセサイザーにはこれ以上のしっくりくるモチーフはなかった。このアルバムは店頭ではクラシック音楽のコーナーにしかないことからもわかるように、当時はシンセサイザーはロック畑よりはむしろクラシック畑に受け入れられたようである(だから富田勲も「展覧会の絵」をアレンジしたのだろう)。ビートルズが「アビイ・ロード」で導入したことで、ロック界でも急速に発展。ピンク・フロイドは「狂気」でシンセサイザーの音をアートの領域にまでのしあげた。そういうシンセサイザーの歴史を知る上では、「スイッチト・オン・バッハ」を抜きにして語ることはできない。現在はシンセサイザーはほぼキーボードと同義語になってしまった感があり、60年代から70年代にかけてのアナログ・シンセサイザーの洗礼を受けた電子音楽ファンには不本意であろう。アナログ・シンセサイザーは音の分厚さが明らかに違い、暖かみさえある。ぜひ曲そのものよりも、音単体の音のユニークさを満喫していただきたい。目をつむって本作のハイライト「ブランデンブルグ協奏曲」の音の神秘にどっぷりと浸かっていただきたい。シンセサイザーは「音を作る」というしごく根本的なことをつくづく教えられる楽器?である。バッハは楽譜を書いただけなので、曲の演奏にどのような楽器が使われようが、バッハはきっと満足してくれるはずだ。