レーナード・スキナード
レーナード・スキナード

 アメリカ映画を見ていて、よくサントラに起用されるバンドといえば、ビーチ・ボーイズクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルなどの他に、レーナード・スキナードの名があげられるだろう。今まで様々な映画でレーナード・スキナードの曲を耳にしたものだ。特に片田舎を舞台にした映画にぴったりフィットする。酒場のカウンターで男女が甘くささやいているバックで、レーナード・スキナードの「Tuesday's Gone」が流れるのは見慣れたパターンだ。『8マイル』ではあのエミネムが「Sweet Home Alabama」を歌うゴキゲンなシーンもあった。これもひとえにレーナード・スキナードがアメリカ人から愛されているバンドということだ。

 レーナード・スキナードは、学校のクラスメートたちが集まって作ったバンドで、64年に結成。バンド名は学校の体育の先生の名前「レナード・スキナー」をもじってつけられた。デビューのきっかけは当時南部音楽に興味を持っていたアル・クーパーに見いだされたこと。

 その音楽の特徴は、カントリーのように馴染みやすく、またブルースのように泥臭いサウンドにある。決してイギリスのバンドでは再現できないアメリカらしい、パワフルでへヴぃでホンキートンクなバンドだ。メンバーも7人と大所帯で、3人がリードギター担当という実に豪快なバンドである。この豪快さから「Saturday Night Spacial」が男臭い映画『ロンゲスト・ヤード』で使われたほどだ。

 ロニー・ヴァン・ザントの泥っ臭い歌声はまさしくこれぞアメリカン・ロックのイメージそのもの。そのお陰で、映画のイメージも削ぐことなく、大抵はバックグラウンドにマッチしている。まったくこいつは惚れ惚れするほどのロック節を聴かせてくれる男だ。豪快な曲も良いが、「Free Bird」などのしんみり系もうまい(ファンの間ではアメリカの国歌にせよとの意見もある)。吠えまくるギターバトルもいいけれど、やはりこの泥臭いボーカルあってこそだと思う。

 彼らがここまで愛されているのは、南部に特化したからだった。ライブでは必ず南部の旗をバックにかかげ、ちゃきちゃきのレッドネックぶりを全面にアピールしたことで、南部ファンたちの熱い声援に支えられることになった。サザン・ロックという言葉があるが、それはレーナード・スキナードのためにある言葉といっても過言ではない。

 レーナード・スキナードの最後は悲劇に終わっている。77年、バンドを乗せた飛行機が燃料切れで墜落し、メンバーが死傷、解散に追い込まれた。悲しいことだけれど、これもロッカーらしい最期だったとも言えなくない。これに関しては映画『コン・エアー』でオマージュが捧げられている。

 なお、88年にロニーの弟ジョニーが意志を引き継いで再結成し、91年と94年に日本でも公演している。06年にロックの殿堂入り。
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「Sweet Home Alabama」 (YouTube)


ロニー・ヴァン・ザント (vo)
ゲイリー・ロッシントン (g)
アレン・コリンズ (g)
エド・キング (g)
ビリー・パウエル (piano)
レオン・ウィルクソン (b)
ボブ・バーンズ (dr)



Pronounced Leh-Nerd Skin-Nerd (73)
Second Helping (74)
Nuthin' Fancy (75)
Gimme Back My Bullets (76)
Street Survivours (77)
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1991 (91)
The Last Rebel (92)
Endangered Species (94)
Twenty (97)
Edge Of Foerever (99)
Christmans Time Again (00)
Vicious Cycle (03)

【Live Album】
One More From The Road (76)
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Southern By The Grace Of God (88)
Lyve From Steel Town (98)
Vicious Cycle Lyve (04)

【Compilation Album】
Legend (87)



レーナード・スキナード
Pronounced Leh-Nerd Skin-Nerd