モーグ・シンセサイザー
ロバート・モーグ博士

モーグ・シンセサイザー
これがモーグ・シンセサイザーだ!

モーグ・シンセサイザー
ウォルター・カーロス

モーグ・シンセサイザー
冨田勲

 シンセサイザーの父ロバート・モーグ博士が、今年8月21日に亡くなった。脳腫瘍を患っていたという。今回はモーグ博士の功績を讃えて、モーグ・シンセサイザーについて書かせてもらう。

 モーグ博士は電子楽器テルミンをもとにして1964年にモーグ・シンセサイザーを発明した。化け物のようなその機械は、弦楽器でも管楽器でも打楽器でもない夢の楽器であった。電波を利用して音の波形を変化させて音を作るため、作曲というよりは効果音作りという感じだったようだが、シンセサイザーに「出せない音はない」とまで言われた。ピアノの音もギターの音も真似できるし、シーケンサーの機能もついて演奏法の幅も広がった。1968年、モーグ・シンセサイザーの第一人者となるウォルター・カーロスが「スイッチト・オン・バッハ」で実験的にその音の可能性を探求していたが、1969年、ビートルズのジョージ・ハリソンが「アビイ・ロード」でモーグを使用して成功したのが発端となって認知度が高まり、急速に普及していった。1969年はロックとシンセサイザーが出会った元年ともいえる。モーグ・シンセサイザーの登場はロック史における大事件となり、その後のシーンの方向性を大きく変えていくことになる。特にプログレ・シーンでその限りない音楽性を発揮していたように思う。イエスエマーソン・レイク&パーマーなど、当時のプログレ・バンドの多くはモーグを使っていた。あの化け物みたいな鍵盤の山に囲まれたキーボーディストは、見た目からして堂々として、かっこよかったものだ。

 日本では冨田勲が何の情報も国内に入ってこなかったころから早々と購入していたが、機材ひとつで単音しか出なかったため、音を増やすためには機材を増やしていくしかなく、スタジオすべてが機材で埋め尽くされていたことで話題になる。冨田は数多くのシンセサイザー・アルバムを発表し、海外でも賞を受賞している。当時日本では「ムーグ」と呼ばれて親しまれた。

 モーグ・シンセサイザーを原点にして類似品が多数開発され、現在のデジタル・シンセサイザーの下地の役目も果たした。それからはテクノやヘヴィ・メタル・シーンにも大きく貢献。現在のシンセサイザー音楽のすべての歴史はモーグ・シンセサイザーから始まっている。モーグ博士は音楽家ではないが、冷静に考えてみても彼がいなければ音楽の歴史はまったく違っていたものになっていたと思う。

 ところで僕は、半年前に渋谷で『モーグ』という伝記映画を見たばかりだった。映画「モーグ」を見てから、モーグ博士が僕の想像とは違うとても温かい心を持った自然を愛する人であったことに驚いた。太鼓腹で、「機械オンチの親父」という感じさえあった。モーグ・シンセサイザーは皆さんご存じのように「アナログ」のシンセサイザーであり、非常にあいまいな音を作り出す機械である。しかし、そこが生物的で、デジタル・シンセサイザーのような無機質な感じがなく、音量も分厚くて威勢のいい生身のサウンドが出て良かった。最近はアナログの方が再評価されてきたくらいだ。モーグ博士がモーグ・シンセサイザーを発明したとき、目指したコンセプトは、「ライブで使用するためのシンセサイザー」だったというが、たしかにプログレ・バンドのモーグ・パフォーマンスほど熱いものはない。キース・エマーソンも、リック・ウェイクマンも、ライヴ・パフォーマンスとしてはモーグ・シンセサイザーを超える楽器はないとモーグ博士の功績を讃えていたし、僕も様々なシンセサイザー音楽に触れてきたが、やはりベストといえるものはキースがモーグを掻き鳴らす「タルカス」であり「展覧会の絵」であり「恐怖の頭脳改革」だった。ロック・バンドにギターが必要なくなるほど、モーグ・シンセサイザーは実に完成された、まさにドリームマシンだった。(2005/8/28)