ミック・ジャガー
キース・リチャーズ
ブライアン・ジョーンズ
チャーリー・ワッツ
ビル・ワイマン
ローリング・ストーンズ
演奏曲目は「ベガーズ・バンケット」とリンクしている。ミック・ジャガーのパワーは圧倒的。15時間の撮影に疲れているようには見えない。しかしブライアンだけは上の空で神経衰弱状態のようにみえる。この番組はブライアンの最期を見取るための番組でもある。なお、セッション・ピアニストとしてニッキー・ホプキンスも参加しているところも忘れないで欲しい。

 

タジ・マハール
タジ・マハール
わざわざアメリカからイギリスへ不法入国してお忍びでライブ披露。放送禁止の原因の一部か? ギターを弾くインディアンのジェシー・エド・デイヴィスも良い感じだ。

 

フー
フー
ストーンズとはまったく見せ方が違うバンドだ。ストーンズほどの生々しさはないが、キース・ムーンのドラムはすごい。客席でもキースだけはやたらと元気そうだった。

 

ジェスロ・タル
ジェスロ・タル
当時無名だったので、いわば前座。彼らにとってはビッグチャンスだっただろう。撮影の都合上、口パクになったとはいえ、様になってますぜ。当時フルートを使うロック・バンドは彼らくらいのものだった。

 

マリアンヌ・フェイスフル
マリアンヌ・フェイスフル
ショーに花を添える美女が必要だということで、ミックが一緒に連れてきた。まだ地に落ちる前の初々しい姿にうっとりだ。当時は女性歌手はバンドの前で歌ってはいけないという風潮があったらしく、一人でステージに出ている。

 

DVD

「ロックン・ロール・サーカスDVD」
本編も映像は綺麗だし、5.1chサウンドも最高品質。特典も豪華。フォト・ギャラリーはもちろん、タジ・マハールの別の曲も見応え十分。

ロックン・ロール・サーカス

 1968年12月。今で言えば、とても信じられないテレビ番組が収録された。それは「ロックン・ロール・サーカス」。ローリング・ストーンズを中心としたお祭り番組である。当時のストーンズは問題作「ベガーズ・バンケット」を製作してまさに最盛期というべき時だった。番組を作るからには盛り上がらなければ。とにかくゲストが凄い。ヘヴィメタルの扇動者ジェスロ・タル、ドンチャン騒ぎのエキスパート・フー、アメリカからブルースの伝道師タジ・マハール、そして当時ミック・ジャガーの恋人だったマリアンヌ・フェイスフルが出演している他、幻のスーパーバンド「ダーティ・マック」も結集している。ダーティ・マックについては後述するとしよう。

 監督はストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のプロモを演出したことで知られるマイケル・リンゼイ・ホッグだ。ロックを映像に表現させたらこの人の右にでる者はいない。まるで画面から飛びださんばかりの躍動感を映像に焼き付けることができる数少ない監督である。本作のサーカスのアイデアもマイケルの手によるものだ。例えばスタジアムでライヴ映画を作るとしたらメンバーがまるで棒のようにしか映らないが、今回のようにスタジオで撮影すれば、メンバーも一カ所に寄り添って演奏してくれるし、まるで目の前で歌っているような臨場感をフィルムに描き出すことができる。撮り方をわきまえているだけに、本作もカメラを4台使いクロースアップを多用して実に素晴らしい映像なのだが、これがなぜかお蔵入りとなり、28年間も日の目を見ることがなかった。当時ロック・イベントといえるものはほとんどなかったが、もしこれが公開されていれば、歴史に残る一大イベントとなったであろう。

 2004年にこのイベントがついにDVD化された。DVDを見ると、それはまさに無茶なイベントだったことがわかる。最高に贅沢なジョークとも言える。DVDには番組の全編映像はもちろんのこと、特典として(1)撮影スタッフたちによるライブ・トーク、(2)ストーンズ・メンバーによるオーディオコメンタリー、(3)ゲスト・ミュージシャンたちのインタビュー、(4)番組を取材した「ローリング・ストーン誌」記者による詳細解説、(5)運良くチケットを当てた客の回想録、この5点を特別収録。立場の異なる5者による、全く違う視点から見た「ロックン・ロール・サーカス」論は圧巻である。5者のコメントにはそれぞれ微妙に差異があるが、おそらく記憶違いか、見栄による表現の違いだと思われる。ともかく、5者のコメントを聴いていると、当時の撮影風景の全容が手に取るようにわかり、まるでその場に居合わせたかのような臨場感が目前に広がっていくことだろう。ロック・ファンにも映画ファンにも興味深いアーカイブといえる。

 番組の主役はストーンズだが、一番注目を集めたのはダーティ・マックだ。これはビートルズのジョン・レノン、クリームのエリック・クラプトン、ストーンズのキース・リチャーズ、エクスペリエンスのミッチ・ミッチェルによるスーパーバンドである。仲の良い友達同士が集まったという感じであるが、音楽的にはビートルズとストーンズはライバル関係だったし、クリームとエクスペリエンスも同様である。この4人がひとつになるのだから、ただごとじゃない。史上初にして最高のスーパーバンドである。ダーティ・マックとして演奏したのはビートルズの「ヤー・ブルース」一曲のみ。今では商業的な理由などで絶対に実現できないものだが、当時はたった電話一本で音楽のためだけに一カ所に駆けつけた。ジョン・レノンとミック・ジャガーのツー・ショット・トークもファン感涙ものだろう。ところが、この後いきなりオノ・ヨーコが登場。突然の乱入だ。まさかヨーコまでも歌い出すとは、バンドメンバーですら、誰一人も思っていなかったらしいが、流れに任せるままにアドリブで1曲歌った。長い曲だが、これがなかなか良い感じである。番組のハイライトはもしかしたらヨーコだったかもしれない。後にジョン・レノンはヨーコを史上最初のパンク・ロッカーと称したが、インタビューではピート・タウンゼントもヨーコを絶賛している。マリアンヌ・フェイスフルはヨーコについて「初めて男性と一緒にロックを歌ったシンガー」「性的魅力では売らない」「ロックとクラシックの境界をなくした」と絶賛している。監督もヨーコをエキゾチックで鼻の綺麗な美女とベタボメである。

 特典映像にはカットされたジュリアス・カッチェンのピアノ曲も収められているが、これも素晴らしい。これが本編に未収録なのはもったいない。カッチェンのピアノをショーの流れに組み込めば、ロックはジャンルの分け隔てのない多様化音楽であることを象徴するイベントになったと思うのだが、惜しい限りだ。オーディオコメンタリーでは、出演メンバーがどのようにして決まっていったのか、そのいきさつについても語られるが、無名バンドを1組紹介しようということで、ジェスロ・タルと共に最後まで候補にあがっていたバンドが実はあのレッド・ツェッペリンだったという点も驚きだ。ジェスロ・タルが選ばれた理由はストーンズと全く音が違うからで、ツェッペリンが選ばれなかった理由はギターがうるさかったからだという。監督はレッド・ツェッペリンを蹴ったことを後悔しているが、ジェスロ・タルも決して悪くはなかった。ジェスロ・タルがストーンズと同じ場所にいるだけでもロック・ファンとしては感慨深いものがある。

 また、ダーティ・マックが出演するまでは、トラフィックのスティーヴ・ウィンウッドが出る予定になっていたという。スティーヴが急遽出演を辞退したので、次の候補者としてポール・マッカートニーの名前があがったが、ポールを口説くには時間的余裕がないということで、撮影前日になっていきなりジョン・レノンに電話一本で出演を承諾してもらったのだとか。そしたらジョンはエリック・クラプトンとミッチ・ミッチェルも連れてきて、下手するとビートルズよりも凄いスーパーグループがここに誕生したのだった。ポールではなくジョンが選ばれたことはこの番組がアーカイブとしての価値を確かなものにしている。キース・ムーンにしろ、ジョン・レノンにしろ、奇しくも、この番組に出た人の何人かは若くして他界してしまっているのだ。

 ゲスト・ミュージシャンのインタビューも熱い。ピート・タウンゼントはミック・ジャガーの圧倒的なボーカル・スタイルを手放しで讃えているし、当時無名だったイアン・アンダーソンはこの番組出演を機に作風を変え、ピエロのような独自スタイルもこの番組がモデルになっていると語っている。マリアンヌ・フェイスフルは当時ブライアン・ジョーンズが他のメンバーからのけ者にされ、誰からも話しかけられず、彼が執拗なイジメにあっていたことを暴露した。ストーンズ・メンバーはオーディオコメンタリーで一切ブライアン・ジョーンズのことについてはノーコメントを守っているが、ゲスト達の発言を聞いていると、いかにブライアンが追いつめられていたかがよくわかる。そのイジメっぷりは、その場にいて見るのが辛かったという。撮影前にブライアンから監督の家に電話があったといい、ブライアンは「みんな俺のことを無視するんだ。みんな俺とは演奏したくないんだ。俺はみんなと一緒にはやれない。だから出演はしたくない」と泣き言をいっていたという。そうしてブライアンはこれがローリング・ストーンズとしての最後のライブとなった。その場にいたみんながそうなることを予感していたという。たしかにこの番組のブライアンを見ていると、すごく顔色が悪く、憂鬱で疲れきったようにも見える。なお、「ローリング・ストーン誌」の記者はこのことについて、真相があるという。デビュー当時のころ、バンドリーダーだったブライアンだけが他のメンバーの二倍のギャラを受け取っていたこを隠していたという。それが発覚してからメンバーから無視されるようになったというのだ。自業自得とはいえ、音楽的には貢献の薄かった彼にしては、気の毒な話である。

 番組がお蔵入りになった理由としては、証言者によって様々である。監督は「ロックは時が大事だ。時を逃したら眠らせるしかない」と証言。イアン・アンダーソンは「これをブライアン・ジョーンズの最後のライブにしたくなかったからじゃないか」と証言。マリアンヌ・フェイスフルは「映像がシュールすぎて当時は理解できなかった」と証言。「ストーンズよりもジョン・レノンの方が目立っていたから」という者もいる。ビル・ワイマンは「ミック・ジャガーが自分のパフォーマンスに不満だった」と証言。一番もっともらしいのはキース・リチャーズの証言で、「俺たちの演奏は最低だった。あのときは長時間演奏してみんな疲れていたから、勘も鈍っていたし、これではうまく演奏できるわけがないと思って、出来上がった映像も真剣に見ていなかった」。なるほど納得だ。撮影には相当時間がかかったと言われている。別の日に取り直す手もあったが、彼らは1日でぶっとおし撮影したのである。最後の曲を収録しているときには、監督はすでに時計の針が午前4時をまわっていたと述懐しているが、ビル・ワイマンは午前2時と記憶している。キースは撮影は36時間かかったと証言しているが、監督は15時間と言う。「ローリング・ストーン誌」の記者は16時間と証言しているが、記者はしっかりと記録をとっているだろうから、最低でも16時間はかかっていることは間違いあるまい。いかに無茶な撮影だったか。しかし最後の曲「悪魔を憐れむ歌」を聴くと、ミック・ジャガーは少しも疲れている様子はなく、あふれださんばかりのパワーである。ミックは成り行きに任せ、常に本能のままに動くシンガーである。彼だけがロック界でも特別のカリスマ性を持つシンガーだ。ピート・タウンゼントはミック・ジャガーをみて「まっすぐこちらに向かってくる」と褒めているがフーについては「横を過ぎていく感じだ」と謙遜している。例えばフーのパフォーマンスはいつも動きが決まっていて、ロジャー・ダルトリーも毎回同じような段取りで演技しているだけにしか見えないが、ミック・ジャガーだけは違う。ミックは全身全霊で歌を動きに表すのだ。このDVDは、ミックがまさに最高のシンガーであることを再認識させるマストアイテムといえる。

 「ローリング・ストーン誌」記者はこの「ロックン・ロール・サーカス」について、ロックのタイムカプセルだと称したが、その意見には賛成である。こんな夢のようなイベントは、もう二度と実現しないだろう。(2005年8月20日・ヒデマン)
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