今日、ふと、なぜロックバンドの人たちはソロになりたがるのかを考えた。エルトン・ジョンやジェームズ・テイラーのように、もともとソロからスタートした「シンガーソングライター」の面々は別として、ロックバンドの面子も、人気が出てくると、たいてい何かしらソロでアルバムを出すものである。

 今まで、僕はソロミュージシャンについて、そうとう偏見の目で見ていたと思う。ソロなんてエゴだと思っていた。ソロの方が売れた分を独り占めできるし、マーケティングも楽で何もしばられずにすむ。そんなもんだと思っていた。たしかにそれもあるのだろうが、それほど腹黒いわけではなく、単純に音楽的な探求心からソロになったのだと思い直した。

 この間、ミック・ジャガーのインタビュー映像をみて目から鱗が落ちた。ミックは自分がソロになった理由についてこう語っている。「あふれるほど新曲の構想が浮かびすぎてバンドだけでは録音が間に合わなくなった」と。つまり天才的な才能があったにもかかわらず、それを発表する機会が限られていた。だからこそソロという形で未発表曲に日の目を見せたというのである。恐れ入った。決してミックはバンドをやめたくなってソロアルバムを出したわけではない。その証拠に、ミックは今もローリング・ストーンズを続けている。

 バンドを脱退してから出すソロアルバムと、バンドに在籍しながら副業として出すソロは意味がちょっと違う。僕は後者の方に意義を感じるし、実際に作品も後者の方がおもしろいものができていると思う。

 イエスのメンバーはあるとき、バンドを存続しつつも、5人全員が一斉にソロアルバムを出し合い(イエスソロ合戦)、誰が一番よくできるか競い合った。バンド同士ではできない、新しい試みが反映し、それぞれ全くカラーの異なる内容になっていて大変面白い結果がでた。

 ソロとしてアルバムを出すとなると、バンドではできなかったことに挑戦ができる。たとえば、バックにオーケストラをかぶせてみたり、ブラスを導入したり、バンド外部のミュージシャンと共作したり、普段のバンドにいた頃にはできなかった「ソロとしての強み」が反映される。ソロになると大概ポップ化するのはそのためだ。

 ただし、どうしてもソロ作品となるとバンドの時ほど売れないようだ。それはファンというものはバンドというブランドにひかれるからであろう。1人でもバンドでも入場料金はそれほど変わらないし、ミック・ジャガーやジョン・アンダーソンが単独で来日しても、どうせならローリング・ストーンズやイエスをみたいと思うのが当たり前だ。ポリスが再結成とはうれしい話である。スティングよりもポリスで来日してくれた方が断然盛り上がるに決まっているからだ。

 ところで、僕がこれまでで最も完成されたソロ・アルバムだと思う1枚をあげるとすると、またまた僕の好きなピンク・フロイドのメンバーの話になるのでおこがましいが、それはロジャー・ウォーターズの「死滅遊戯」である。これはバンドではできなかった新要素が満載で、それでいてCD1枚音楽の区切れのないドラマティックなコンセプトアルバムに仕上がっている。ドン・ヘンリーとデュエットしたりするのもピンク・フロイドではありえなかったことで、これも見事な効果を上げている。特筆すべきはリードギターをジェフ・ベックに任せていることだ。ジェフ・ベックはピンク・フロイド専属ギタリストのデヴィッド・ギルモアとはまったくスタイルの異なるギタリストで、彼には彼なりの唯一無二の演奏スタイルというものがあるため、その個性的なギターソロはロジャー・ウォーターズの世界観と見事に融合して、ピンク・フロイドにはない実にスペーシーなサウンドに仕上がっている。

 ソロ・アルバムの醍醐味は、そういったバンドとは全く異なる化学反応を楽しむこと。そこが最たるところではないだろうか。 (2007/10/30)