モンタレー・ポップ・フェスティバル

 1967年6月、サンフランシスコ近郊で行われた「モンタレー・ポップ・フェスティバル」は、当時はチャリティとして開催されたものだが、これが史上初めての本格的な野外ロック・フェスティバルになったということで、ロック史を語る上では「ウッドストック」と並び、最重要項目のひとつにあげられる。

 このフェスティバルが生まれたきっかけは簡単だった。1966年にモンタレー・ジャズ・フェスティバルが開催されたとき、これを見た興行主が、「ジャズのフェスティバルがあるなら、ポップのフェスティバルもあっていいだろう」と考えたのが始まり。それから、ビートルズのパブリシスト、デレク・テイラーに協力を要請し、さらにママス&パパスのジョン・フィリップスが共同ディレクターに招かれ、その1年後には計画が実現して大成功となった。彼らが掲げたテーマは「Music, Love & Flowers」だった。花というのはフラワー・ムーヴメント、すなわち、当時の音楽シーンを席巻したサイケデリックを意味すると考えた方がよさそうだ。ステージセットもヒッピー風で、ドラッグ体験を思わせるようなサイケなスライド・ショーに彩られている。当時売り出し中のサンフランシスコ派のジェファーソン・エアプレインが出場し、サイケデリック音楽を広めるきっかけとなったのも特筆すべきことだ。

 重要なのは、過去、これほど多数の大物ミュージシャンを一堂に集めた野外コンサートはなかったということ。ポップとは、ここでは流行音楽を意味する。つまりは、クラシック以外ならロックだろうがフォークだろうがブルースだろうがソウルだろうが、誰でも参加できるゴッタ煮のお祭りをやろうというわけだ。参加者の中にはインド音楽の巨匠ラヴィ・シャンカールまでいる。6月16日から3日間開催され、16日金曜は夜の部のみ、17日土曜と18日日曜は昼の部と夜の部の2回ずつで、合計5回の大会で、それぞれ入れ替え制で、料金は各回違っていた。入場者はおよそ3万人といわれているが、記録映画などを見てみると、なんともこぢんまりとした印象を受けるではないか。しかし、これがきっかけで、次々と複合ライブが開催されるようになったのだから、やはりモンタレーは野外音楽フェスの元祖として、歴史的価値は大きいだろう。モンタレーの成功の後、じつにアメリカだけでも3年間に30以上の野外フェスが開催された(その中にはウッドストックも含まれる)。その後、イギリスのワイト島で行われたフェスティバルが大失敗したことで、野外フェスは過去のものとなってしまうのだが、その詳細はワイト島ライブのページに記したので参照願いたい。

 バンドが登場する前に、別の有名人が出てきてバンドの紹介をする演出もこの時からすでに確立されていたようで、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズがエクスペリエンス、モンキーズのピーター・トークがバッファロー・スプリングフィールドの紹介者としてひと言スピーチした。

 デヴィッド・クロスビーはバーズとバッファロー・スプリングフィールドの両方に参加。この縁があって、この後バーズを脱退し、クロスビー・スティルス&ナッシュを結成する。

 フーはこのフェスティバルで機材を壊し、スタッフが大あわてで止めに行く一幕があったが、これが観客に受け、以後彼らはこの手の野外フェスティバルの常連となった。

 モンタレーには3つの伝説が残った。まず一つ目が、ジャニス・ジョプリンが所属していたビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのライブである。2日目の出場で、ジャニスは女性とは思えない物凄い迫力で観客を圧倒し、急きょ3日目にも追加出場することになった。他の男性メンバーが、撮影された映像を見て、彼女しか写ってないことに腹を立てたエピソードもあるらしい。余談だが、「Combination Of The Two」でコーラスをやっているジャニスの振り付けが妙に可愛かったりする。

 2つ目は、オーティス・レディング。おそらく今回のライブの主役は彼だったのではないか。白人中心のフェスティバルにして、唯一人、黒人音楽を披露するが、1曲目の「Shake」から物凄いノリで、このまま倒れてしまうんじゃないかというくらいに熱気がほとばしっていた。彼は飛行機事故で若くして死んだ。本当に短い間の活躍だったが、この映像が残っているお陰で、彼はソウル界の伝説となった。

 そして3つ目はジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのライブだ。イギリスで活動していたアメリカ人のジミヘンにとって、モンタレーはアメリカでの初凱旋ライブである。そのため、ギターに噛みつくわ、逆さに弾くわ、すごいアピールであった。前の回でピート・タウンゼントがギターを壊すパフォーマンスを先にやってしまったため、また同じことをやっても観客が白けてしまうからと、ジミヘンは、突如ギターに股間をこすりつけ、あげくは火を点けて燃やしてしまった。この出来事は、今日も語り草になっている。(結局ジミヘンはギターを燃やした後ぶっ壊してしまうので、僕にはどうしてもフーの真似にしか見えなかったが・・・。今では消防法があるから絶対に無理だろうなあ)

 フェスティバルの最終トリを務めたのは、ママス&パパスだ。キャス・エリオットが凄い迫力。ビートも効いて、みんなでノリノリ。「夢のカリフォルニア」は名曲だが、それ以外の曲もダイナミックで名演だった。なお、彼らがスコット・マッケンジーをゲストに迎えて演奏した「花のサンフランシスコ」は、今ではモンタレーのイメージソングになった。

<記録映画についての感想>

 「ウッドストック」同様、モンタレーもフィルムに記録されており、映画にもなった。日本では劇場未公開だったが、DVDで3枚組の「ザ・コンプリート・モンタレー・ポップ・フェスティバル」がVAPから発売された。

 映画は、当時満場総立ちの大喝采を受けたラヴィ・シャンカールのシタール演奏を主軸において作られているが、全体的に編集で苦心している様がうかがえる。グレイトフル・デッドの映像がカットされたのは、演奏時間が長くてフィルムが途中でなくなってしまったからだと言われているが、やはりフィルムの撮影には限界がある。そのため、フィルムでは撮影できなかった曲の一部を埋めるために、どうしても別撮りした「素材」を使わざるを得なくなってくる。素材は、音楽とは同期していないので、使いすぎると、ライブであることの感覚が薄らいでしまう。僕はモンタレーの映画フィルムの欠点は、素材の使いすぎなのではないかと思う。演奏のところどころで挿入される別カットの映像が、歌っている時間と同じ時間に撮られたものではないことはバレバレである。また、ベース・ソロのところでギタリストを映すなど、捉えるべきスポットの間違いも目立った。

 しかし記録映像としては、画質も美しく、これ以上ない逸品だと思う。ほとんどの映像がクロースアップというところもいい。動いているローラ・ニーロの映像は僕も初めて拝見したが、そのしっとりとしたしぐさに思わずドッキリしてしまった。彼女はこのライブでブーイングを受けてそのショックで2年間ライブ活動を休んだそうだが、この映像を見る限りでは称賛に値するパフォーマンスだと思う。僕個人的には一番気に入った。(2006/5/25・ヒデマン)

キャス・エリオット
ママス&パパス

エリック・バードン
アニマルズ

アート・ガーファンクル、ポール・サイモン
サイモン&ガーファンクル

ジャニス・ジョプリン
ビッグ・ブラザー&
ホールディング・カンパニー

ロジャー・マギン
バーズ

ピート・タウンゼント
フー

スティーヴン・スティルス
バッファロー・スプリングフィールド

アル・クーパー
アル・クーパー

グレース・スリック
ジェファーソン・エアプレイン

ローラ・ニーロ
ローラ・ニーロ

オーティス・レディング
オーティス・レディング

ラヴィ・シャンカール
ラヴィ・シャンカール