ワイト島ライブ

 ワイト島ミュージック・フェスティバルは、野外ロック・ライブの祭典としては、おそらく世界最大規模で、最も意義のあるものであっただろう。イギリスの離島にあるワイト島でこのミュージック・フェスティバルが初めて開催されたのは、1968年8月31日。第1回大会にはジェファーソン・エアプレーン、ムーヴなどが参加し、移動手段は船しかないのに、大勢の観客(ほとんどが若いヒッピーたちだった)を動員した。第2回大会がその翌年の1969年8月30日と31日の2日間開催。ボブ・ディラン、バンドフーが参加し、今度は25万人の観客を動員、まさに大成功だった。そしてこの成功よ再びと、問題の第3回ワイト島ミュージック・フェスティバルが1970年8月26日〜30日の5日間にわたり開催された。これで通算65万人の観客を動員。1969年のウッドストック・フェスティバルを凌ぐ世界最大規模のライブとなったのだが、ところがこれが問題だらけで、このライブの焦点は、主催者側スタッフと、60万の観客たちのケンカだったといっても過言ではないだろう。

 入場料は3ポンドだった。この3ポンドは決して高い金額ではなかったのだが、「お前達は音楽を商売にしているのか!」と主張する観客が多く、入場料を払わずにフェンスをぶち壊して入った客は50万人はいたと思われる。今の時代では信じられない話であるが、当時はこうすることでロックの反抗精神を体現できたのだろうか。

 17万人観客が入れば黒字になるというが、10万人しか入場料を払っていないため、このライブは赤字となり、主催者は観客に向かって「クソ野郎!金を払え!」と怒鳴る始末だ。この主催者は司会者も兼ねていたため、バンド交替の合間によくステージにあがって、観客に何度も何度も「金を払え」とアナウンスし、そのたびにブーイングを受け、客にキレてばかりだった。ヤケになって不服な客をステージにあがらせてマイクで気が済むまで発言させる一幕もあった。あるとき主催者側が「金を払わないとバンドが演奏しない」と、ミュージシャンのせいにしたときには、ジェスロ・タルが「フェンスを破って入ればいいさ。俺たちは演奏しにきたんだ」と観客を煽った。

 ステージに観客が乱入してきて、泣きながら客席に怒鳴った初々しいジョニ・ミッチェル。「客席からライフルで撃たれる前に退散しなきゃな」といって、歌の途中でそそくさとステージから逃げたクリス・クリストファーソン。その他、観客に投げ込まれた花火のせいでステージが火事になったり、そりゃもう大変なステージであった。

 この記録映像を収録したDVDが発売されているが(ワイト島1970〜輝かしきロックの残像)、このDVDもやはり焦点は主催者側にあり、主催者側の苦悩を中心に描かれた作りになっている。ほとんど暴徒と化した観客たちはとにかく恐ろしい。フェンスを破って入ろうとする観客を警備員が制しようと、棒で殴りかかろうとするシーンなどもある。「もうお手上げだよ」と仕事を放棄する警備員の疲れ果てた表情など、DVDを見ていると、もし自分がこの場所にいたならどうしただろうか、と考えさせるものがある。じつに見ていて強烈なストレスの重圧感を感じる映像ばかりである。

 一番感動的なシーンは、フェスティバルの最終日に、主催者がとうとう観念して、「みんなとは後味のいい別れ方をしたい。お前達は最高の観客だ。このライブは赤字になってしまったけど、でもこんなに素晴らしい体験をさせてくれた君たちに俺は感謝する」といって、「アメージング・グレイス」の曲をバックにピースサインをするところ(上写真)。このとき、主催者の目にはうっすら涙が浮かんでいた。潔く諦めたところは尊敬に値するが、しかしその表情からは、自分が引き下がったことへの無念さもうかがえる。僕にはこの主催者の気持ちがよくわかる。

 この事件が教訓となったのか、以後、このような大規模な商業向けライブは実現していない。ジョージ・ハリソンがロック史上初めて大規模なチャリティ・ライブ「バングラデュ・コンサート」を開催したのが、この翌年の話というのも皮肉な話だ。

 DVDを見ていると、本当に時代を感じさせる。ヒッピー達にインタビューする映像や、それをはたから見ていた一般市民のきつい発言など、なかなか興味深い。僕個人的には、ただ地面に穴を掘ってパーティションをおいただけの不衛生なトイレが気になった。DVDの構成は、映画「ウッドストック」をずいぶんと参考にした作りになっているが、内容の面白さではワイト島の方に軍配があがるだろう。ウッドストックの映像が16ミリ映像で、ワイト島が35ミリということでも、映像のクオリティに大きな差がある。カメラワークなど思いのほか秀逸で、ヴォーカリストの表情など、よく撮れていると僕は思う。

 その出場者の顔ぶれもマニアックですごかった。フォークシンガーのジョーン・バエズ、長いギター・ソロを聴かせるテン・イヤーズ・アフター、麻薬万歳と謳うジョン・セバスチャンなどは別の野外ライブのDVDでも見慣れているが、フリーの現役時代や、ドノヴァン、ロリー・ギャラガーのテイスト、ギターに噛みつく最晩年のジミ・ヘンドリックスなど、その映像はかなり貴重ではないか。

 プログレのバンドが多く出場している点でも当時のイギリスらしい。当時全英ナンバー1ヒットを放っていたムーディ・ブルースの「サテンの夜」はただただ感動のひと言だ。エマーソン・レイク&パーマーはこのライブが初お披露目だった。オルガンを反対側から弾くキース・エマーソンの激しいパフォーマンスなど、かなり見応えがある。

 また、ジャズにロックを融合したマイルス・デイヴィスが出場していることも大きな話題を呼んだ。マイルス・デイヴィスのバンドにはキース・ジャレットもチック・コリアも参加している。ここで演奏した曲「コール・イット・エニシング」は、ジャズそのものを象徴するかのような名曲で、ある意味このライブのハイライトだったと言える。

 僕が見た中では、一番目立っていたのはフーだったと思う。もう完全にハード・ロック・バンド。4人ともパフォーマンスがすごすぎ。ここで見せたフーのライブは、彼らにとってはベスト・パフォーマンスといえるものだったんじゃないかな。

 なお、ワイト島ミュージック・フェスティバルはエリザベス女王即位50周年記念の一環として、2002年6月3日に第4回大会が開催されたが、これは2万人しか動員できなかった。そして2004年6月11日〜13日に、第5回ワイト島ミュージック・フェスティバルが実現、フーが3度目の出場を果たしたが、これも動員数はたったの6万人だった。もうロックでは人は集まらないのか? 寂しくなったものだ。(2006/5/19・ヒデマン)

ポール・ロジャース
フリー

ロリー・ギャラガー
テイスト

ジョン・セバスチャン
ジョン・セバスチャン

ジム・モリスン
ドアーズ

ジャスティン・ヘイワード
ムーディー・ブルース

ジョニ・ミッチェル
ジョニ・ミッチェル

マイルス・デイヴィス
マイルス・デイヴィス

キース・エマーソン
エマーソン・レイク&パーマー

ジミ・ヘンドリックス
ジミ・ヘンドリックス

イアン・アンダーソン
ジェスロ・タル

ピート・タウンゼント
フー