「無人島に持っていくCDを1枚選ぶなら何?」。よくこんなテーマで盛り上がっている光景を僕は目にしてきた。そのとき僕は「どうして無人島なんだよ」といつもツッコミを入れたくなるのだ。というのも「無人島に持っていく1枚」という意味はかなり曖昧で、どうとでも意味を受け取れるからだ。この言葉には少なくとも5つくらいはまったく異なる解釈が可能だ。
「無人島に持っていく1枚」というのは、早い話が「一番好きな1枚は何?」と訊いているというのだろうか。だったら普通に「一番好きな1枚は?」と訊けばいいものを、まったく! この場合、僕ならばビートルズの「アビイ・ロード」ということになる。ここから僕はロックに目覚めたのだから想い出もいっぱいつまっているアルバムだ。現に、僕はアメリカを放ろうしていたころ、このたった1枚だけテープにダビングして持っていったくらいだ。毎日四六時中「アビイ・ロード」を聴いていた。
「毎日誰にも邪魔されずに念入りに聴きたい1枚」という意味ではピンク・フロイドの「狂気」ということになる。無人島なら誰にも邪魔されないだろう。
「毎日BGMとして流していても平気な1枚」という意味ではカントリーが一番なので、バーズの「ロデオの恋人」か、「オー・ブラザー!」のサントラということになる。
「無人島に持っていく」というのだから、あえて嫌いなCDを選んで、好きになるために何度も聴くって手もある。ただしこれは1週間で戻ってこられるとしての話。世捨て人となり、一生無人島に暮らすとすれば、「孤独から逃れるため」という意味で1枚を選ぶと思うので、あまり人間くさくないアルバムがいいだろうから、そうなると僕はバッハかモーツァルトのCDを選ぶかもしれない。あるいはラヴィ・シャンカールを聴きながら瞑想でもするか。案外ハワイアンもいいかもしれない。
だいたい無人島にも二種類あって、「観光」としての無人島なのか、「漂流」としての無人島なのか意味不明だ。「漂流」したのであれば、電気は使えないのだから、そうなるとCDの中身がどうというのは問題外になってくる。電気が使えなければ、CDのジャケットをひたすら眺めているしかない。そうなると「リターン・トゥ・フォーエバー」のジャケットを毎日拝みつつ、救助されるのを待つだろう。(2005/7/27)