ロックを聴いていて、もっとも感動するところはどこか・・・。僕の場合、断然ギターソロである。とりわけハード・ロックとプログレッシブ・ロックが好きなのは長いギター・ソロがフィーチャーされているからだ。イエスディープ・パープルなどはキーボード・ソロとの応酬が快感だし、ピンク・フロイドレッド・ツェッペリンなどはそのギターの音色にほれぼれしてしまう。

 僕は今日までにロックを聴いていて感動のあまり泣きそうになったことが3度あった。1回目はピンク・フロイドの「対」を聴いたとき、2回目はピンク・フロイドが「PULSE」で「狂気」をライブで再現したとき、3回目はライブ8でピンク・フロイドが久しぶりに復活して「コンフォタブリー・ナム」を弾いたとき。いずれもデヴィッド・ギルモアのギター・ソロのところで涙を流した。僕にとってそれほどギルモアのギターは感動的だった。僕が音楽を聴いて心の底から生きていて良かったと思ったのはピンク・フロイドが最初だった。僕がこのサイトのタイトルを「ロックは演奏で決まる」とした訳もここにある。

 世の中には数ある楽器があるが、キーボード・ソロやサックス・ソロよりもやはりギター・ソロの方にゾクゾクしてしまうのは、ギター・ソロが多数派だからだろう。ギターはもはやロックの定番。日々の音楽生活の中で、もっともよく耳にするのはギターの音なので、いつしかギター・サウンドに親しみを感じるとともに、あこがれ、尊敬など、様々な感情を持つようになったため、ギター・ソロに何より感動を覚えるようになったのだろう。また、ギター・ソロのパートには歌がない分、想像力を刺激されることもあげられる。ピンク・フロイドの「コンフォタブリー・ナム」は歌のところもいいが、やはりギター・ソロのところが一番感動的である。しかしロックには歌がなくても困る。ロックは歌とギター・ソロの両方があってこそ、お互いを高めあえるのだと思う(無論ベースとドラムのリズムセクションも必要だが)。

 この前、友達にライブ8のピンク・フロイドの映像を見せてみた。僕が泣きそうになった「コンフォタブリー・ナム」である。友達もだいぶピンク・フロイドのことを気に入ってくれたのだが、まだギター・ソロはダメみたいで、ギター・ソロが始まるなりあくびをしていた。その後、車の中でも「狂気」を聴かせてみたが、やはりギター・ソロのところであくびをしていた。僕自身はギター・ソロのところで泣きそうになったので、自分がもっともうるうるしたところ(一番聴かせたかったところ)で横であくびをされるのはあまりいい気分ではなかった。

 一般人にはまだ歌が第一であって、ギター・ソロは二の次である。これもラジオやテレビ局の見せ方に問題があるように思う。ラジオでは、ギター・ソロが始まるなり、ボリュームをさげてトークを始める。テレビでも歌のところではカメラはボーカリストの顔を写しているのに、ギター・ソロが始まると客席側を写す。僕はラジオにビートルズの「サムシング」をリクエストして、流してもらったことがあるが、葉書に「ギター・ソロのところが良い」と書いていたのにも関わらず、司会の人に「ギター・ソロが良いって書いてあるのですが、時間がないのでギター・ソロのところをカットさせてもらいます。ごめんなさいね」と言われて見事にカットされてしまった。マスメディアがこんな状態ではギター・ソロの良さは一般人にはわかってもらえないだろう。

 こうなったら、我々音楽ファンたちだけでも開き直ってギター・ソロを満喫しようではないか。一般人にはわからないギター・ソロが自分にはわかると思えば優越感にも浸れるというものだ。(2005/11/15)