【アメリカ】後にアメリカ一のロック・アーチストとなるボブ・ディラン。この時弱冠二十歳。まだこの頃はウディ・ガスリーの後継者のような存在で、アコースティック・ギターとハーモニカだけで弾き語りしていた。たった1年で彼はアメリカで最も人気のあるフォーク・シンガーとなったが、「Fixin'
To Die」、「Highway 51」など、そのパワフルな歌い調子は、今の観点からしてみれば、ロックそのものにしか聞こえない内容である。
【アメリカ】本来ならここのページに載せるべきアイテムではないが、ロックとロック以外の音楽を比較するという意味で、他の45枚とは別に圏外から1枚だけチョイスさせてもらった。誰しも名盤と讃えるジョン・コルトレーンの「至上の愛」である。これはジャズの世界で起きた「コンセプト・アルバム」の決定打だった。コルトレーンが神に捧げた曲である。この年にして、この新しさ。ちなみにマイルス・デイヴィスは1960年ですでに「Sketches
Of Spain」を発表している。ジャズの進歩には目覚ましいものがあるが、ロックがいかに遅れて他の音楽にしがみついてきた音楽なのか思い知らされる。ジャズ・ロック第1号のブラッド・スウェット&ティアーズが登場するのは1968年の2月になる。サンタナがジャズとロックを完璧なまでに融合させた「キャラバンサライ」を発表するまでにはここから8年も待たねばならない。自分で作曲し、演奏するという意味では、ジャズもロックも共通項が多いが、70年代になると、ロックとジャズの境界もついになくなる。
【イギリス】マリアンヌ・フェイスフルがこの年デビューし、立て続けにレコードを発表した。マリアンヌは元々キース・リチャーズの恋人で、キースと別れて今度はミック・ジャガーの恋人になったということで、ローリング・ストーンズとの関係も深く、デビューシングルもストーンズからもらった「As
Tears Go By」だった。マリアンヌは後に麻薬で堕ちるところまで堕ちてしまい、ロック歌手として劇的カムバックを果たすわけだが、まだこのデビュー当時は初々しいポップ・シンガーでしかなかった。震えるようなボーカルがただただ美しい。まったく汚れなき音楽である。ジャケット写真のニキビが可愛い。
★ロックの主義的確立【アメリカ】先の作品ですでにディランはエレキ化していたが、真の意味で最初のロック・ソングとなったのは、6分間を超えるシングル「Like
A Rolling Stone」だった。1965年7月にニューポート・フォーク・フェスティバルにボブ・ディランがエレキ・ギターを抱えて登場し、バンドを従えて「Like
A Rolling Stone」を演奏して会場からブーイングを受けたとき、そこに「ロックの主義」が完成を見る。すなわち己の道を進むという反骨精神と革新精神である。この日をロックの誕生日とするのはもっともな考えといえる。ディランのヘヴィな濁声はエレキの音に渾然一体となっており、ビート感も強くなり、曲もスピーディになった。このアルバム、どこから聴いてもロックそのもの。一般的に、世界初のロック・アルバムとして認定されている。ただし名義がバンド名義ではなく個人名義という点で、ロックの定義の「自分で演奏する」から漏れてしまうため、ロックの音楽的確立には説明不足なところもある。
The Paul Butterfield Blues Band
The Paul Butterfield Blues Band
【アメリカ】ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのファースト・アルバムがこの月に出た。実際彼らはライブ活動などでこれが出たときにはすでに有名人だった。ポール・バターフィールドを中心とした主に白人系のブルース・バンドだが、彼のハーモニカは本場のリトル・ウォルター、ジュニア・ウェルズにも通じる正統派タイプである。目玉はマイク・ブルームフィールドのエレキ・ギター。黒人のブルースの直系だが、そのサウンドは明らかに白人的。当時アメリカでは彼よりもうまいギタリストはおらず、ボブ・ディランも彼の演奏に感銘を受けたという。これがきっかけとなって名曲「Like
A Rolling Stone」が生まれた点を考慮すれば、マイク・ブルームフィールドこそ、最初のロック・ギタリストというべき人物だったかもしれない。
【アメリカ】ギター弾き語り系フォーク・デュオのサイモン&ガーファンクルが、この年フォークからロックへと転向した。このきっかけはボブ・ディランのプロデューサーのトム・ウィルソンが「The
Sound Of Silence」を2人の許可もなくロック調にアレンジして売り出したことだった。エレキ・ギターのサウンドが見事に二人のフォーク・サウンドと一体化し、この曲はシングル・ヒットを飛ばした。映画『卒業』の影響もあり、今となってはむしろこのエレキ・ギターの最初のフレーズこそ本物の「The
Sound Of Silence」という気がしてくる。当時解散を考えていたポール・サイモンは自作曲を勝手にいじくられて良い気分はしなかっただろうが、曲が売れたことに関してはまんざらでもなかったようで、以後ロック・スタイルに従わざるをえなくなった。「I
Am A Rock」など、もう完全に開き直っているところが大変よろしい。
The Mama's And The Papa's
If You Can Believe Your Eyes And Ears
【アメリカ】ロックの起源については諸説があるが、ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」こそ真の意味での最初のロック・アルバムと唱える人も多い。たしかにこの完成度は当時の音楽シーンを眺めてみてもずば抜けて高かったし、初めてのトータル・コンセプト・アルバムという点でもその功績の大きさは計り知れない。ブライアン・ウィルソンが中心となって、彼が傾倒していたフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドをさらにおしすすめて、崇高なアルバムを完成させた。ブライアン本人曰く、ビートルズの「ラバー・ソウル」を聴いてショックを受け、ここはなんとしてもビートルズに対抗してすごいアルバムを作ってやろうという意欲にかきたてられたとのことだ。曲単体で聴いても、「Wouldn't
It Be Nice」、「Sloop John B」など、臨場感のあるキャッチーなナンバーが多数あるが、中でも「God
Only Knows」は涙腺がゆるむ奇跡の大傑作だ。
【イギリス】それまでR&Bグループだったローリング・ストーンズが、「アフターマス」を発表し、いよいよロック・グループへと脱皮に成功した。R&Bのグルーヴは色濃く残しているが、それまでがロックではなくて、ここからがロックと言えるワケは、とにかく積極的に自作曲で攻めるようになったことと、アルバム全体を作品として捉えるようになったこの2点に尽きる。11分を超える「Going
Home」を収録するなど意欲作も増え、「Under My Thumb」など名曲も多数収録されている。ロックの世界を生き抜くには、こうやって自分で作曲していくしかないのだ。
The Byrds
Fifth Dimension
【アメリカ】ロック史的には過小評価されている感が否めないバーズの、面目躍如たる名盤がこれ。「Eight
Miles High」はバーズの最高傑作。出だしのギターとベースとドラムのサウンドにはもうただただドキドキ。ロックのダイナミズムがここにある。バーズはここにきて彼らだけのオリジナリティを見せつけ、ロックの一形式を確立した。「サイケデリック」である。サイケデリックというジャンルは、上の系譜を見てもわかるように、パンクやハード・ロックなど、後のあらゆるロック形式の母体となった重要な要素である。バーズはいわば最初のオルタナティヴ・バンドであった。
【アメリカ】フランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インベンションは、この時代の音楽の中でも、何よりも異様なものだったであろう。当時「裏ビートルズ」と評価されたほどである(後にジョン・レノンとの共演も実現する)。この音楽は、サイケデリックの範ちゅうに入るのだろうが、音の構成はかなりメチャクチャで、神経が一本ハジけた感じ。しかしギター・ソロなど今聴いても素晴らしいと言わせるものがあり、作品としてしっかり聴かせるものになっている。「Help
I'm A Rock」など、ある意味、ロックそのもののパロディともいえる。ボンゾ・ドッグ、キャプテン・ビーフハートなどはこれの亜流と見ても間違いはない。
The 13th Floor Elevators
The Psychedelic Sounds Of
【アメリカ】この年パンク・バンドのドアーズがデビューした。サウンドのスタイルは、バーズとシーズを足して2で割ったような感じだが、驚くのはその演奏法の新しさだ。この年の他のバンドと比べてみると、いかにドアーズの演奏が新感覚だったかがわかる。「Light
My Fire」のギターとオルガンの絡み具合など見事としか言いようがない。ジム・モリスンの語りかけるような歌声も当時のサイケデリックの時代にマッチしているし、ロジャー・マギン、ルー・リードと共に、元祖オルタナティヴ・シンガーと呼ぶにふさわしい。10分を超える儀式的なアンセム「The
End」のギターとドラムとベースにもゾクゾク。これぞサイケの時代が産み落とした最高傑作!
【アメリカ】シンガー・ソングライターはジョーン・バエズ、ボブ・ディランなど、昔から星の数ほどいたが、フォークの分野に属さない、ジャンルとしての「シンガー・ソングライター」のアーチストとしては、おそらくローラ・ニーロが第1号になるのではないだろうか。ローラ・ニーロはアルバムのすべての曲を作詞・作曲し、歌うという、今のシンガー・ソングライターの形を作った。アルバムもシングルの集まりではなく、1枚の作品として一貫してスタイルが守られ、その後のキャロル・キング(当時は作曲家として活動していた)やジョニ・ミッチェル、エルトン・ジョンなどの指標になったといえる。歌のジャンルとしては、ソウル、ジャズを取り入れているが、全体的にポップで聴きやすく、それでいて繊細さも併せ持つ。「And
When I Die」はブラッド・スウェット&ティアーズにカバーされた名曲。ルックスも申し分がなく、ロック歌姫の人気投票では、本来ならば1位になるべき人物である。うっとり。
The Velvet Underground
The Velvet Underground & Nico
【イギリス】70年代得意のディスコ・サウンドをひっさげて一世を風靡(ふうび)し、70年代商業的に最も成功したアーチストにあげられるビー・ジーズは、10年も前にとっくにオーストラリアでデビューしていた。まだ二十歳にも満たないころから彼らは人気グループだった。そして67年7月、イギリスに渡り、イギリスでファースト・アルバムを発表。このころはロック・グループの形態をとっているが、このアルバムからはすでに天才ぶりをうかがわせる。1枚目からいきなり全曲作詞作曲の貫禄ぶりだ。「Holiday」、「New
York Mining Disaster 1941」、「To Love Somebody」などは、不思議な魅力と感動に溢れた名曲である。オーケストラの伴奏もまったくもって見事としか言えない。ジャケットデザインはクラウス・フォアマン。
【イギリス】ピンク・フロイドに駄作なし。ピンク・フロイドに物真似はなし。常に自分だけのスタイルで演奏をし、必ずやヒットを飛ばす怪物。ロック史上、唯一絶対的なバンドは、この年デビューする。このアルバムの中心人物はシド・バレット。サイケデリックからパンクまでの流れをくみつつ、ヴェルヴェット・アンダーグランドと並び、グラム・ロックの様式を確立したバンドともいえるだろう。「Pow
R. Toc H.」そのほか、不気味なんだけど、なんだかかっこよくて、クセになる音楽。言葉では到底説明できない病み付き要素が満載。ファーストアルバムからこの怪物ぶり。恐るべしピンク・フロイド!