ロックの造物主ポール・マッカートニー、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン このホームページが始動したときから、時々問題にあげてきた事柄がある。それは「ロックの起源」について。そんなの調べるだけ野暮だと言う人もいるかもしれない。それでも僕はあえて明確な答えが欲しかった。世間一般で言われているのは、エルヴィス・プレスリーが初レコーディングした1954年か、あるいはビル・ヘイリーが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を発表した1955年が通説となっているが、僕としては、この時点ではまだプロト・ロックの段階でしかなく、真の意味でのロックではなかったと思う。だから僕はロック以前の音楽は、「ロックン・ロール」という言葉で今のロックとは区別してきた。それならば、いつごろ真の意味での「ロック」が誕生したのか、それをここで探っていきたいと思う。
 そこで、知名度のあるロック系ミュージシャンのアルバム45枚を発売された月の順に並べて、ロックの移り変わりを観察していくことにした。シングルを無視し、アルバムの発売月を起点に考えるのは間違っているという人もいるかもしれないが、それでも僕がアルバムを重要視したことには大きな理由がある。現在では当時の音楽を確かめる資料としては、アルバムという形だけでしか現存していないからである。ロックの始まりは、アルバムの時代の始まりでもある。アルバムは嘘をつかないし、明りょうにその当時の音楽の在り方を語ってくれる。何よりアルバムを聴くのが一番わかりやすいのだ。

 かなり大雑把な定義だが、以上の5点をふまえて、アルバムを時系列としてとらえると、いつ頃からロックが生まれたのか、だいたいの見当がついてきた。ロックの下地を作ったのはアメリカの音楽を真似たビートルズローリング・ストーンズらブリティッシュ・インベイジョンのバンドたちだということを確信すると共に、ロックの発展に大きく寄与したバンドのほとんどがサイケデリック系だったという事実にも驚いた。誰が先輩で誰が後輩か、パイオニアについての誤った解釈や、意外な発見などもあって、僕自身が一番勉強になった。僕はロックのルーツはロックン・ロールだと思っていたが、実際はフォークからの流れも多くくんでいることがわかった(そのほとんどはボブ・ディラン一人に集約される)。わずか3年の間に様々なジャンルのロックが生まれていることにも驚いた。下記にロックの系譜および基本公式を示す。
 

(青字は通常ロックのカテゴリーに属さない音楽形式、赤字は通常ロックのカテゴリーに属する音楽形式)
 
 
 まとめてみて、僕は1965年こそ、真の意味でのロック元年だという結論に達した。それまでの音楽は、先代のプロト・ロック(チャック・ベリーバディ・ホリーレイ・チャールズサム・クックマディ・ウォーターズ、etc)の真似事でしかなかったが、1965年からロックのオリジナリティが芽生え、自分たちで作曲し、アルバムをシングルの集まりではなく、1枚の作品として発表するようになっている。そこから急激に進化し、1967年になると、もう完全にロックの形が出来上がっている。
 以上、総合的に見て、僕が決定した「ロックの起源」と呼ぶにふさわしい3通りの答えを下記に示す。

 ところで、「ロックの起源」と共に気になることが、「誰が最初のロック・ギタリストか」という疑問である。ロックの歴史はエレキ・ギターの歴史でもあるため、ギタリストからロックの発展を探究するのも大事だろう。ブルースを見事にロックという新形式へと昇華した観点から考えると、アメリカからマイク・ブルームフィールド、イギリスからエリック・クラプトンジェフ・ベックジミー・ペイジの4名が歴史的に有力といえるのだが、4人ともほぼ同時期63年ごろに活動を開始し、65年にその名を知られているため、誰が第1号かは定かではない。この4人に神格化されているジミ・ヘンドリックスを加えた5人の位置関係を下グラフに示す。アメリカで生まれたロックの演奏形式は、イギリス人によって活性化したことになる。


Bob Dylan
Bob Dylan


アメリカ】後にアメリカ一のロック・アーチストとなるボブ・ディラン。この時弱冠二十歳。まだこの頃はウディ・ガスリーの後継者のような存在で、アコースティック・ギターとハーモニカだけで弾き語りしていた。たった1年で彼はアメリカで最も人気のあるフォーク・シンガーとなったが、「Fixin' To Die」、「Highway 51」など、そのパワフルな歌い調子は、今の観点からしてみれば、ロックそのものにしか聞こえない内容である。


The Beach Boys
Surfin' Safari


【アメリカ】後にアメリカ一のロック・バンドとなるビーチ・ボーイズがファースト・アルバムを発表(シングルは1961年にすでに出していた)。まだこの頃は踊って楽しむのりのりのサーフィン・バンドであり、50年代のロックン・ロールに従う形でしかなかった。ビーチ・ボーイズは長らくこのスタイルを守り続けていたせいで、「ロック化」においては、ビートルズに遅れを取ってしまう。


The Beatles
Please Please Me


【イギリス】ビーチ・ボーイズに遅れること5ヶ月。後にロックの絶対的なスターとなるビートルズがここにファースト・アルバムを発表した。ブリティッシュ・インベイジョンの始まりである。たった1日で、ほとんどの曲を一発録りで録音したのだが、その勢いはあまりにも衝撃的だった。ビーチ・ボーイズには彼らの出現が驚異にしか思えなかったという。しかしまだこのころはビートルズもR&Bなどのカバーが中心で、真の意味では「ロック」になっていなかった。


The Seachers
Meet The Seachers


【イギリス】サーチャーズは、ビートルズやホリーズように「ロック化」できなかったために時代に生き残ることはできなかったが、今聴くと、ビートルズにかなりソックリだったことがわかる。というか、むしろサーチャーズの方がパワフルで、かっこいい印象さえある。その後のビートルズが「マネー」や「ツイスト・アンド・シャウト」など、サーチャーズのR&Bレパートリーを我が物にしていったことからも、サーチャーズがビートルズに与えた影響は大きかったはず。ビートルズも昔はサーチャーズと同類の単なるビート・グループでしかなかったという証拠となるアルバムだ。


The Dave Clark Five
Glad All Over


【イギリス】またまたイギリスからビート・グループ登場。陽気なデイブ・クラーク・ファイブ(DC5)である。サックスとオルガンをフィーチャーしているところが異彩。DC5によるムーブメントは、リバプール・サウンドに対抗して、トッテナム・サウンドと命名された。残念ながらギター・ロックに押されて消えていった。ある意味では最初のフュージョンともいえる。


The Rolling Stones
The Rolling Stones


【イギリス】ここでついにローリング・ストーンズが登場。とはいえ、収録曲の大部分はR&Bのカバーであったため、まだ真の意味で「ロック」というにはほど遠いところだ。このときからアメリカのマーケットを狙っていたところはさすがだと思わせるが、ここで解散していても不思議じゃないような内容である。ぜひストーンズへの愛情をもって聴きたい。


Manfred Mann
The Five Faces Of Manfred Mann


【イギリス】マンフレッド・マンは、とことんR&Bにこだわった白人グループだった。その意味では彼らよりも後に登場したヤードバーズやアニマルズにもつながっていくわけだが、しかし重量感では明らかに他とは開きの差がある。マンフレッド・マンのパワフルな黒っぽいボーカルは、いわばハード・ロックの原石ともいえるものである。まるでハウリン・ウルフのような凄まじいボーカルは、その後のモッズ・グループであるフーやスモール・フェイセス、ひいては70年代のジャムらパンク・バンドにも影響を与えた。恐らくこれはこの当時の音楽としては、最もヘヴィなアルバムになる。


John Coltrane
A Love Supreme


【アメリカ】本来ならここのページに載せるべきアイテムではないが、ロックとロック以外の音楽を比較するという意味で、他の45枚とは別に圏外から1枚だけチョイスさせてもらった。誰しも名盤と讃えるジョン・コルトレーンの「至上の愛」である。これはジャズの世界で起きた「コンセプト・アルバム」の決定打だった。コルトレーンが神に捧げた曲である。この年にして、この新しさ。ちなみにマイルス・デイヴィスは1960年ですでに「Sketches Of Spain」を発表している。ジャズの進歩には目覚ましいものがあるが、ロックがいかに遅れて他の音楽にしがみついてきた音楽なのか思い知らされる。ジャズ・ロック第1号のブラッド・スウェット&ティアーズが登場するのは1968年の2月になる。サンタナがジャズとロックを完璧なまでに融合させた「キャラバンサライ」を発表するまでにはここから8年も待たねばならない。自分で作曲し、演奏するという意味では、ジャズもロックも共通項が多いが、70年代になると、ロックとジャズの境界もついになくなる。


Yardbirds
Five Live


【イギリス】伝説的バンド、ヤードバーズがここに登場。ライブアルバムならではの迫力のファーストである。ロック界最初の偉大なるギタリスト、エリック・"スローハンド"・クラプトンがここでいよいよレコード・デビューする。ヤードバーズはまだこの時点ではロックというよりはブルースというべきだった。まだクラプトンのギターも完成を見ていない。


Bob Dylan
Bringing It All Back Home


【アメリカ】1965年に入って、さっそく異変が起きる。フォーク・シンガーのボブ・ディランが、エレキ化したのである。自分の音楽にブルース系のバンドを引き連れて演奏したわけで、「Maggie's Farm」など、それはおよそフォークとは遠いものに変わり果てていた。まだ完全にはロックの形はできあがっておらず、まだプロトタイプの段階である。しかしその分、その粗さがかえって情熱を感じさせる。収録曲の半分はフォークのスタイルを守っているが、いたるところに実験はみられる。まだロックが市民権を得ていなかったころだったので、ディランのこの決断は尊敬に値する。


Marianne Faithfull
Marianne Faithfull


【イギリス】マリアンヌ・フェイスフルがこの年デビューし、立て続けにレコードを発表した。マリアンヌは元々キース・リチャーズの恋人で、キースと別れて今度はミック・ジャガーの恋人になったということで、ローリング・ストーンズとの関係も深く、デビューシングルもストーンズからもらった「As Tears Go By」だった。マリアンヌは後に麻薬で堕ちるところまで堕ちてしまい、ロック歌手として劇的カムバックを果たすわけだが、まだこのデビュー当時は初々しいポップ・シンガーでしかなかった。震えるようなボーカルがただただ美しい。まったく汚れなき音楽である。ジャケット写真のニキビが可愛い。


The Byrds
Mr.Tambourine Man


【アメリカ】アルバムを年代順に並べてみると、ロック形成に最も荷担したジャンルはフォークだったことに気づかされる。バーズビートルズとボブ・ディランの良いところ取りを狙ったものだが、この真似事が、ロック形成における多大なる貢献となろうとは。ボブ・ディラン当人にも影響を与えるほど、これは完成されていた。ジョージ・ハリソンにあこがれて12弦ギターを手にしたロジャー・マギンは、ブルースを通過することなく、ロック・ギターの一形式を完成させた。フォークのリズムを見事にロックのリズムへと転換させたこのギターの骨格は、ひょっとすると最初のロック・ギターともいうべきクオリティである。ジャケットに至ってもすでに革命的。ただしバーズには難点も多い。カバー中心でオリジナリティがないことと、スタジオミュージシャンの手を借りてしまったことである。それがなければロック・アルバム第1号という名誉を逸することもなかったろうに。実にもったいない。これがロック誕生以前の早すぎたロックの姿だ。


The Rolling Stones
Out Of Our Heads


【イギリス】ポピュラー音楽の大半はアメリカで生まれたものだが、まさかイギリス人によって乗っ取られていくとは。ブリティッシュ・インベイジョンといわれたR&Bグループのうねりはまさに革命的だった。この年、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」がアメリカのチャートを席巻し、1965年の年間ナンバー1ヒットを記録した。彼ら英国人勢がその後のロック形成に与えた影響力は計り知れないものがある。とはいえ、ロック創世の観点からいえば、さすがのストーンズもこの時点ではまだR&Bバンド。「サティスファクション」もロックではなくR&Bの範ちゅうだった。ストーンズがロック化するのは「アフターマス」からになる。


Bob Dylan
Highway 61 Revisited


★ロックの主義的確立【アメリカ】先の作品ですでにディランはエレキ化していたが、真の意味で最初のロック・ソングとなったのは、6分間を超えるシングル「Like A Rolling Stone」だった。1965年7月にニューポート・フォーク・フェスティバルにボブ・ディランがエレキ・ギターを抱えて登場し、バンドを従えて「Like A Rolling Stone」を演奏して会場からブーイングを受けたとき、そこに「ロックの主義」が完成を見る。すなわち己の道を進むという反骨精神と革新精神である。この日をロックの誕生日とするのはもっともな考えといえる。ディランのヘヴィな濁声はエレキの音に渾然一体となっており、ビート感も強くなり、曲もスピーディになった。このアルバム、どこから聴いてもロックそのもの。一般的に、世界初のロック・アルバムとして認定されている。ただし名義がバンド名義ではなく個人名義という点で、ロックの定義の「自分で演奏する」から漏れてしまうため、ロックの音楽的確立には説明不足なところもある。


The Lovin' Spoonful
Do You Believe In Magic


【アメリカ】65年8月、「追憶のハイウェイ61」で、ロックは主義的確立を達成したが、以前ボブ・ディランのセッションに参加していたジョン・セバスチャンは、新たにフォーク・ロック・グループを結成していた。それがラヴィン・スプーンフルである。ディランの流れよりも、バーズの流れを多分に受けているが、演奏法はバーズほどの目新しさはない。トラディショナルのカバーなどが目立ち、作曲の面ではまだ不十分な印象がある。とても陽気でラブリーなアルバムなのだが、ロックの音楽的確立第1号とはならなかった。


The Paul Butterfield Blues Band
The Paul Butterfield Blues Band


【アメリカ】ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのファースト・アルバムがこの月に出た。実際彼らはライブ活動などでこれが出たときにはすでに有名人だった。ポール・バターフィールドを中心とした主に白人系のブルース・バンドだが、彼のハーモニカは本場のリトル・ウォルター、ジュニア・ウェルズにも通じる正統派タイプである。目玉はマイク・ブルームフィールドのエレキ・ギター。黒人のブルースの直系だが、そのサウンドは明らかに白人的。当時アメリカでは彼よりもうまいギタリストはおらず、ボブ・ディランも彼の演奏に感銘を受けたという。これがきっかけとなって名曲「Like A Rolling Stone」が生まれた点を考慮すれば、マイク・ブルームフィールドこそ、最初のロック・ギタリストというべき人物だったかもしれない。


The Beatles
Rubber Soul


★ロックの音楽的確立【イギリス】それまでロックン・ロール・グループだったビートルズが、この「ラバー・ソウル」でアルバム全体を通してロック化する。シタールという民族楽器を初めて導入した「ノルウェーの森」を聴いても歌詞からして変化が表れていることがわかる。ロックン・ロールでもR&Bでもない、オリジナリティあふれる作品で、全曲が自作曲。1曲1曲がバラエティに富みながら、曲と曲が互いに連鎖反応を起こし、全体が完璧にまとまっている。トータル・アルバムという概念を作ったまさにロックのマイルストーン。かつてこれほど斬新で、完成されたアルバムはなかった。驚くことにこれは今聴いても全く古びていない。上記の「ロックの定義」の5つの条件すべてを満たす、これこそロックの音楽的確立を果たした、真の意味での最初のロック・アルバム。「ロックは演奏で決まる」認定!


The Who
My Generation


【イギリス】60年代最高のライブ・バンド、フーがこの年デビューした。先のローリング・ストーンズキンクスに比べると、後発部隊の印象が強いが、圧倒的なライブ・パフォーマンスで強くアピールした。フーがその後のロックのヴォーカル、ギター、ベース、ドラムのひな形になるわけだが(とくにジョン・エントウィッスルのベース!)、まだこの時点では生粋のモッズ・サウンドで、ひたすらにR&Bに徹するのみであった。マンフレッド・マンの直系という感じであるが、そのせいか今聴くと古い。しかし「My Generation」など、誰よりも早くパンクっぽい音を出している点には注目。「The Ox」の演奏はさすがだ。


Simon & Garfunkel
Sounds Of Silence


【アメリカ】ギター弾き語り系フォーク・デュオのサイモン&ガーファンクルが、この年フォークからロックへと転向した。このきっかけはボブ・ディランのプロデューサーのトム・ウィルソンが「The Sound Of Silence」を2人の許可もなくロック調にアレンジして売り出したことだった。エレキ・ギターのサウンドが見事に二人のフォーク・サウンドと一体化し、この曲はシングル・ヒットを飛ばした。映画『卒業』の影響もあり、今となってはむしろこのエレキ・ギターの最初のフレーズこそ本物の「The Sound Of Silence」という気がしてくる。当時解散を考えていたポール・サイモンは自作曲を勝手にいじくられて良い気分はしなかっただろうが、曲が売れたことに関してはまんざらでもなかったようで、以後ロック・スタイルに従わざるをえなくなった。「I Am A Rock」など、もう完全に開き直っているところが大変よろしい。


The Mama's And The Papa's
If You Can Believe Your Eyes And Ears


【アメリカ】この年、重要なボーカル・グループがデビューする。ママス&パパスだ。歴史的に見ると、フォーク・ロックの位置づけであるが、むしろブリティッシュ・インベイジョンをアメリカナイズしたようなグループというべきか。男2人、女2人のメンバーはそれぞれボーカルを担当。「カリフォルニア・ドリーミン」のハーモニーは絶品である。中でもママ・キャス・エリオットのインパクトがかなり強い。おそらくロック系女性ヴォーカリストとしては、最古参ともいえるカリスマであろう。なお、リーダーのジョン・フィリップスはモンタレー・ポップ・フェスティバルの仕掛け人でもある。


The Beach Boys
Pet Sounds


【アメリカ】ロックの起源については諸説があるが、ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」こそ真の意味での最初のロック・アルバムと唱える人も多い。たしかにこの完成度は当時の音楽シーンを眺めてみてもずば抜けて高かったし、初めてのトータル・コンセプト・アルバムという点でもその功績の大きさは計り知れない。ブライアン・ウィルソンが中心となって、彼が傾倒していたフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドをさらにおしすすめて、崇高なアルバムを完成させた。ブライアン本人曰く、ビートルズの「ラバー・ソウル」を聴いてショックを受け、ここはなんとしてもビートルズに対抗してすごいアルバムを作ってやろうという意欲にかきたてられたとのことだ。曲単体で聴いても、「Wouldn't It Be Nice」、「Sloop John B」など、臨場感のあるキャッチーなナンバーが多数あるが、中でも「God Only Knows」は涙腺がゆるむ奇跡の大傑作だ。


Small Faces
Small Faces


【イギリス】スモール・フェイセスは、白人R&Bグループの最後の巨大な砦だろう。マンフレッド・マン、フーに続くモッズ・グループであるが、黒人といっても通じるスティーヴ・マリオットの歌声はただただ驚きの連続。ロジャー・ダルトリーを2倍のパワーにした感じである。まだ演奏の様式には粗削りなところがあるが、もうほとんどハード・ロックに近いものができあがっている。スモール・フェイセスはやがてハンブル・パイ、フェイセスという2つのバンドに分裂するが、この2バンドは無論ハード・ロックの道をたどっていくことになる。


The Rolling Stones
Aftermath


【イギリス】それまでR&Bグループだったローリング・ストーンズが、「アフターマス」を発表し、いよいよロック・グループへと脱皮に成功した。R&Bのグルーヴは色濃く残しているが、それまでがロックではなくて、ここからがロックと言えるワケは、とにかく積極的に自作曲で攻めるようになったことと、アルバム全体を作品として捉えるようになったこの2点に尽きる。11分を超える「Going Home」を収録するなど意欲作も増え、「Under My Thumb」など名曲も多数収録されている。ロックの世界を生き抜くには、こうやって自分で作曲していくしかないのだ。


The Byrds
Fifth Dimension


【アメリカ】ロック史的には過小評価されている感が否めないバーズの、面目躍如たる名盤がこれ。「Eight Miles High」はバーズの最高傑作。出だしのギターとベースとドラムのサウンドにはもうただただドキドキ。ロックのダイナミズムがここにある。バーズはここにきて彼らだけのオリジナリティを見せつけ、ロックの一形式を確立した。「サイケデリック」である。サイケデリックというジャンルは、上の系譜を見てもわかるように、パンクやハード・ロックなど、後のあらゆるロック形式の母体となった重要な要素である。バーズはいわば最初のオルタナティヴ・バンドであった。


John Mayall
Blues Breakers
With Eric Clapton


【イギリス】エリック・クラプトンはヤードバーズ時代にすでにレコード・デビューを果たしているが、ジャケットの表面にでかでかと名前がクレジットされたのはこれが初めてではないだろうか。ギタリストの名前でレコードを売るとは、当時としては珍しいことだっただろう。ここでの彼のギター・ソロのほとんどはロックというよりはブルースというべきものであったが、クラプトン節はようやく完成をみており、その後のロック・ギターの指標になったことは間違いない。こうしてクラプトンは、ロックで最初のギター・ヒーローとなったのである。


Yardbirds
Roger The Engineer


【イギリス】エリック・クラプトンの後釜としてヤードバーズに迎えられたジミー・ペイジが、自分の代わりにジェフ・ベックを推薦して、ここにヤードバーズの黄金期が完成した。クラプトンはかなりブルース寄りのギターを弾いたが、ジェフ・ベックはブルースを解体し、よりロックらしいギターを弾いた。同時期のクラプトンのメイオールと比べても、ロック色が強くなっているが、そのせいかエレキ・ギターとしての重量感には欠ける。ちなみに、映画『欲望』(66年公開)にはヤードバーズが出演しており、ジェフ・ベックがギターを壊すシーンがある。ピート・タウンゼントも顔負け?


The Mothers Of Invention
Freak Out!


【アメリカ】フランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インベンションは、この時代の音楽の中でも、何よりも異様なものだったであろう。当時「裏ビートルズ」と評価されたほどである(後にジョン・レノンとの共演も実現する)。この音楽は、サイケデリックの範ちゅうに入るのだろうが、音の構成はかなりメチャクチャで、神経が一本ハジけた感じ。しかしギター・ソロなど今聴いても素晴らしいと言わせるものがあり、作品としてしっかり聴かせるものになっている。「Help I'm A Rock」など、ある意味、ロックそのもののパロディともいえる。ボンゾ・ドッグ、キャプテン・ビーフハートなどはこれの亜流と見ても間違いはない。


The 13th Floor Elevators
The Psychedelic Sounds Of


【アメリカ】バーズの「霧の五次元」以後、サイケデリック・ブームに火がつき、ビートルズも「リボルバー」でこの流れに追随する形になった。中でも、シーズ、ブルース・マグースらと並び、この様式美を完成させたバンドがサーティーンス・フロアー・エレヴェーターズだ。アルバムタイトルもその名も「サイケデリック・サウンド」。おそらく初めてサイケデリックという言葉が使われたアルバムだろう。全編浮遊感たっぷり。ジャケットからしてチカチカ。歌声も本格的にラリってます。その後のパンクの原点といっても過言ではなく、後発部隊ヴェルヴェット・アンダーグラウンドよりも半年、ピンク・フロイドよりも1年、MC5よりも3年時代を先取りしていた。


The Troggs
From Nowhere


【イギリス】この年になって、ビートルズローリング・ストーンズの流れをくむR&B系のロック・バンド、トロッグスが登場した。1966年8月でこの音は、ちょっと時代遅れな感じがしないでもないが、正統派という意味では好感がもてる。一曲目「Wild Thing」はサイケロックの大傑作。後にジミヘンがこれをカバーしたが、トロッグスのオリジナルには及ばなかった。どこかエロさを感じさせる歌声がいい。この独特なねちっこさがトロッグスの魅力だ。


The Monkees
The Monkees


【アメリカ】ポップ産業もロックという音楽形式を見逃せなくなってきた。この年ビートルズに対抗してレコード会社が新しいグループを作った。それがロックではド素人の集まり。モンキーズだった。会社によって作り上げられたグループということで、つまりはポップ界がロック界を真似たというわけ。演奏は彼ら自身の手によるものではないが、「なんちゃってロック」にしてはアルバムの出来はかなり本物っぽくて良い。ここからポップ・アーチストによる疑似ロックが音楽市場に氾濫することになる。ポップの世界も66年以前と以後でずいぶんと意味が変わったが、66年以後はポップもロックの一形式になったとみてよいだろう。


Cream
Fresh Cream


【イギリス】マンフレッド・マン出身のジャック・ブルースを中心とした最強のトリオ、クリームがこの年ファーストアルバムを発表。楽曲のほとんどはジャック・ブルースが作曲し、ブルース音楽のカバーも何曲か収録している。演奏の質はピカイチ。ジャック・ブルースのボーカルもパワフルですさまじいが、そのベースも驚異としかいえない。またエリック・クラプトンのギター、ジンジャー・ベイカーのドラムも当時売れていたバンドの中でも頭ひとつ飛び抜けたハイ・レベルな演奏であった。彼らがこのバンドでやったことは、ジャズのアドリブをロックのフォルムで再現すること。こうしてここに「ハード・ロック」という概念が誕生した。ロックが確立されてわずか1年の話である。


The Doors
The Doors


【アメリカ】この年パンク・バンドのドアーズがデビューした。サウンドのスタイルは、バーズとシーズを足して2で割ったような感じだが、驚くのはその演奏法の新しさだ。この年の他のバンドと比べてみると、いかにドアーズの演奏が新感覚だったかがわかる。「Light My Fire」のギターとオルガンの絡み具合など見事としか言いようがない。ジム・モリスンの語りかけるような歌声も当時のサイケデリックの時代にマッチしているし、ロジャー・マギン、ルー・リードと共に、元祖オルタナティヴ・シンガーと呼ぶにふさわしい。10分を超える儀式的なアンセム「The End」のギターとドラムとベースにもゾクゾク。これぞサイケの時代が産み落とした最高傑作!


Jefferson Airplane
Surrealistic Pillow


【アメリカ】ジェファーソン・エアプレインの2作目。ここからグレース・スリックが参加。彼女はロック史上、最初の本格的な女性ヴォーカリストだった。パワフルな歌声で、男性グループのトップに立てるだけの存在感があった。歌い方だけでなく、ファッション面でも、後の女性ヴォーカリストのフォルムというフォルムを彼女が一人で作ったといっても過言ではない。ちなみに彼女のライバルだったジャニス・ジョプリンが有名になるのはこの4ヶ月後である。ジャケット写真もすばらしい。この年から名ジャケットが続々と生まれることになる。


Laura Nyro
More Than A New Discovery


【アメリカ】シンガー・ソングライターはジョーン・バエズ、ボブ・ディランなど、昔から星の数ほどいたが、フォークの分野に属さない、ジャンルとしての「シンガー・ソングライター」のアーチストとしては、おそらくローラ・ニーロが第1号になるのではないだろうか。ローラ・ニーロはアルバムのすべての曲を作詞・作曲し、歌うという、今のシンガー・ソングライターの形を作った。アルバムもシングルの集まりではなく、1枚の作品として一貫してスタイルが守られ、その後のキャロル・キング(当時は作曲家として活動していた)やジョニ・ミッチェル、エルトン・ジョンなどの指標になったといえる。歌のジャンルとしては、ソウル、ジャズを取り入れているが、全体的にポップで聴きやすく、それでいて繊細さも併せ持つ。「And When I Die」はブラッド・スウェット&ティアーズにカバーされた名曲。ルックスも申し分がなく、ロック歌姫の人気投票では、本来ならば1位になるべき人物である。うっとり。


The Velvet Underground
The Velvet Underground & Nico


【アメリカ】その後のガレージ・バンドたちが崇拝してやまないバンド、ヴェルヴェット・アンダーグランドはここにデビューした。彼らは今現在も支持率が高く、フォロワーも多い。ある意味では過大評価とも思える部分があるが、60年代でヴェルヴェッツがやたらと支持されていることには理由がある。まずそのビジュアル面。アンディ・ウォーホルがデザインしたおしゃれなジャケットからしてインパクト大。内ジャケのサイケデリックなデザインもすばらしい。ここからレコードの紙をキャンバスとした「ジャケット・アート」が始まったといってもいいだろう。もうひとつ評価すべきは、彼らが90年代のロック・シーンを席巻した「オルタナティヴ」の原点ともいえるバンドだったということ。その異様なギターのサウンドと、ルー・リードのけだるい歌声とニコの物悲しい歌声は、時代を30年は先取りしている。サーティーンス・フロアー・エレヴェーターのような今で言えばガレージ・パンクのようなサウンドにポップアートの要素をまぶしたような内容で、そのキッチュさは、ある意味最初のグラム・ロックともいえるものだった。


Country Joe & The Fish
Electric Music For The Mind And Body


【アメリカ】ドアーズの流れをくむ、アメリカを代表するサイケデリックなハード・ロック・バンド、カントリー・ジョー&フィッシュがこの月にデビューした。カントリー・ジョー・マクドナルドを中心としたバンドだが、彼の天才ぶりに圧倒される。もちろん収録曲は全曲彼の作曲。65年から66年にかけて最盛期を迎えたフォーク・ロックの色合いはもう消えており、そこにはロックの様式だけが残ったとでも言おうか。オルガンの音色がサイケでジューシー。ロックの様式の大部分は、彼らのようなサイケデリックバンドによって形成されたことが、このアルバムをもって証明されよう。カントリー・ジョーはジミ・ヘンドリックスよりも早くにロック・ギター、ロック・ベースの型を作った点でもあなどれない。


The Jimi Hendrix Experience
Are You Experienced


【イギリス】ようやくここでギターヒーローのジミヘンが登場する。ロック・ギターの創始者と言われている割には遅すぎるデビューという気もする。彼も先代のギタリスト同様ブルースを基調としたサウンドだが、とはいえ、ブルームフィールド、クラプトン、ジェフ・ベックと比べると、独創性ではダントツで、やっと純度100%のロック・ギターが生まれたという気もする。その意味では確かにロック・ギターの創始者だった。彼はギターの持ち方も弾き方もまったく独特だった。ロックにルールはないというわけである。サウンドの系統的にはクリームの流れを受け継いでいるが、もっとエンターテイナー性が強くなった。この年の6月18日、ジミヘンはモンタレー・ポップ・フェスティバルの最終日に参加し、観衆の前でギターを焼いた。ロック史上初のショッキング・パフォーマンスといって良いだろう。


The Beatles
Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band


【イギリス】ロックとして初めてグラミー賞を授賞し、チャートの1位を長期にわたって保持。このアルバムの登場で、ロックは文化的に確立されたことになる。ロックはいわば「進化する音楽」。あらゆる音楽を吸収していき、拡大し、変化し、多様化していく総合ビジネスであり、アートである。その象徴ともいえるアルバムがこれだった。その意味では、このアルバムは何よりもロックらしいロック・アルバムだった。「サージェント・ペパー」は、この2年間の文化のすべてがつまったアルバムである。65年にロックが誕生し、それからわずか2年でまさかこのような史上最高傑作が生まれようとは! 聴けば聴くほど、自分という存在がちっぽけなものにみえてしまう。


David Bowie
David Bowie


【イギリス】グラム・ロックの旗手デヴィッド・ボウイが、この年弱冠二十歳でデビュー。ボウイがこんなに古い人だったとは意外である。ソロ・シンガーとしてはロッド・スチュワートよりも先輩というわけだ。しかしこの段階ではまだグラム・ロックっぽさはなく、なにやら大道芸人的な雰囲気を受ける。匂いとしてはフランク・ザッパかタイニー・ティムに近いものがあった。自由奔放にやってるところが大変よろしい。すでにカルト!


Bee Gees
1st


【イギリス】70年代得意のディスコ・サウンドをひっさげて一世を風靡(ふうび)し、70年代商業的に最も成功したアーチストにあげられるビー・ジーズは、10年も前にとっくにオーストラリアでデビューしていた。まだ二十歳にも満たないころから彼らは人気グループだった。そして67年7月、イギリスに渡り、イギリスでファースト・アルバムを発表。このころはロック・グループの形態をとっているが、このアルバムからはすでに天才ぶりをうかがわせる。1枚目からいきなり全曲作詞作曲の貫禄ぶりだ。「Holiday」、「New York Mining Disaster 1941」、「To Love Somebody」などは、不思議な魅力と感動に溢れた名曲である。オーケストラの伴奏もまったくもって見事としか言えない。ジャケットデザインはクラウス・フォアマン。


Yardbirds
Little Games


【イギリス】ヤードバーズのリード・ギタリストが、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックを経て、いよいよジミー・ペイジに交替した。ブルース寄りのクラプトン、ブルースとロックの中間を行くベックと比べると、ペイジのギターはかなりロック色が強くなっている。俗に言う三大ギタリストの中では、最も多才である。彼は意識的にアコースティック・ギターも多用した。二人と違って作曲の才能もあったが、このアルバムだけでもどれだけ沢山のギターの手法が彼一人の手によって開拓されていったことか。現代のギタリストのほとんどはペイジの影響下にあるような気にさえなる。それにしても、ヤードバーズの変遷歴には驚くべき物があるが、まさか2年後にこのバンドを母体にしてレッド・ツェッペリン、ルネッサンスという全く別の個性を持つバンドが生まれようとは!


Pink Floyd
The Piper At The Gates Of Dawn


【イギリス】ピンク・フロイドに駄作なし。ピンク・フロイドに物真似はなし。常に自分だけのスタイルで演奏をし、必ずやヒットを飛ばす怪物。ロック史上、唯一絶対的なバンドは、この年デビューする。このアルバムの中心人物はシド・バレット。サイケデリックからパンクまでの流れをくみつつ、ヴェルヴェット・アンダーグランドと並び、グラム・ロックの様式を確立したバンドともいえるだろう。「Pow R. Toc H.」そのほか、不気味なんだけど、なんだかかっこよくて、クセになる音楽。言葉では到底説明できない病み付き要素が満載。ファーストアルバムからこの怪物ぶり。恐るべしピンク・フロイド!


Vanilla Fudge
Vanilla Fudge


【アメリカ】マスコミで初めて「ヘヴィ・メタル」という言葉が使われたのは68年。1人のライターがステッペンウルフの歌を批評するときに作った造語だと言われているが、「ロックは演奏で決まる」の研究では、事実上、最初のヘヴィ・メタルは、ステッペンウルフよりもデビューが1年早いヴァニラ・ファッジだという結論に達した。オルガンを中心としたサウンドで、当時は「アート・ロック」と呼ばれ、プログレ同様に芸術性を評価されたものだが、これが実は上の系図を見てもわかるとおり、プログレとは似て非なる別の科から生まれた音楽形式で、これが後にヘヴィ・メタルへと進化していったのである。キンキン声の歌い調子など、その様式はまさにヘヴィ・メタルそのものなので、注意して聴くべし。


Sly & The Family Stone
A Whole New Thing


【アメリカ】スライ&ファミリー・ストーンは、ジェームズ・ブラウンの流れをくむファンク・グループだが、彼らのサウンドは、聴いているととにかく動きたくなるファンクのグルーヴはそのままに、演奏には白人にも受け入れられるロックのダイナミズムが加味されており、ファンク・グループとしては、初めてロックの範ちゅうで語られることになった。ファンクとロックがこれほど相性が良かったなんて! この流れはファンカデリック、プリンスへと引き継がれる。


The Moody Blues
Days Of Future Passed


【イギリス】ロックが生まれてわずかに2年で、ロックは第1級のアートとなった。当時珍しかった楽器メロトロンを購入したR&Bグループのムーディー・ブルースは、ロックをクラシック音楽的な解釈で演奏することに成功した。オーケストラとも共演を果たした本作は、歌よりも演奏を重視し、アルバム全体の作品性にこだわったロックの新形式プログレッシヴ・ロックを確立した。ポピュラー音楽のジャンルというジャンルのほとんどは、アメリカで生まれたものだが、ただひとつ「プログレッシヴ・ロック」だけは、イギリスで生まれた生粋のブリティッシュ・ロック・サウンドだと堂々といえるだろう。


Traffic
Mr. Fantasy


【イギリス】この時代には、二人の天才ヴォーカリストが登場した。ゼムからヴァン・モリスン、スペンサー・デイヴィス・グループからスティーヴ・ウィンウッドである。二人とも白人だが、まるで黒人のような声で歌っていた。当初10代半ばだったスティーヴ・ウィンウッドは作曲も出来て、当時から神童と謳われていた。その彼が立ち上げたバンドがトラフィックだった。サックスやピアノなど、ジャズの要素を取り入れつつも、そのギター、ベース、ドラムのサウンドは、このページで紹介している45枚のアルバムの中でも、「サージェント・ペパー」を例外として、もっとも今日的なロックの様式を成している。「Dear Mr.Fantasy」ではやっとロックがロックらしくなってきた。これは、いわゆるプログレッシヴ・ロックというジャンルが定着する前に出てきたものだが、トラフィックはムーディー・ブルースとその音楽の方向性を二分し、アート・ロックの祖というべきだろう。